命について、改めて考えた夜

先日、夜道を車で走っていたときの出来事です。

道路の先に、何か違和感を感じました。
一度通り過ぎましたが、どうしても気になり、私は引き返しました。

そこには――
小さな小鹿が横たわっていました。

暗い夜道のなか、
私にできることは限られていました。

まず安全な場所に車を停め、
ハザードをつけて、警察へ電話をしました。

「人間じゃなくてよかった」

私の車の前には、ハザードをつけて停まっている車がありました。
声をかけ、少し手前にいた小鹿を跳ねてしまいましたか?と尋ねました。

返ってきた言葉は、

「鹿だったか。人間じゃなくてよかった。」

その言葉は、きっと間違いではないのかもしれません。
事故として考えれば、人命が守られたことは大切です。

けれど私は、日々「命」と向き合う仕事をしています。

だからこそ、その一言に、
少しだけ疑問と、そして寂しさを感じてしまいました。

野生動物との接触事故――
いわゆるロードキルは、どれだけ注意していても遭遇してしまうものです。

ロードキルという現実

誰かを責めたいわけではありません。

ただ私は思いました。

なぜ、あの瞬間に
「命は大丈夫だろうか」と考えなかったのだろう。

車の破損への連絡はしていても、
命への対応は後回しになってしまう。

それが、とても残念で、少し悲しく感じました。

もう一度、現場へ

私はその後、もう一度現場へ戻りました。

しかし、そこに小鹿の姿はありませんでした。

警察に再度確認すると
「今、向かっています」とのこと。

もしかしたら――
自力で立ち上がって、森へ帰ったのかもしれません。

家族のもとへ戻れただろうか。
これからも生きていけるだろうか。

そんな想いが、胸に込み上げてきました。

命は、みな平等なはず

命。

それは、人も、動物も、本来は平等なはずです。

「動物だからいい」

そんな意味ではなかったとしても、
私はその言葉をそう受け取ってしまい、
少し寂しくなりました。

命を軽く見ているわけではない。
でも、忙しい日常のなかで、
私たちは命への感覚を少しだけ置き忘れてしまうのかもしれません。

私からのお願い

もし皆さんが、
ロードキルに遭遇したり、見かけたりしたときは――

どうか、そのまま通り過ぎずに

各自治体や警察へ連絡をしてください。

それだけで救われる命があります。
苦しむ時間を減らしてあげられる命があります。

あの日が教えてくれたこと

あの夜、私は改めて考えました。

命とは何か。
向き合うとはどういうことか。

私たちができることは大きくないかもしれません。

でも、
「気にかけること」
「立ち止まること」
それも立派な優しさだと思います。

あの子鹿が、どうか無事でありますように。

そして今日も、
すべての命が、少しでも優しく扱われる世界でありますように。

私は、日々ペットのお見送りという仕事をしています。

最愛の家族を亡くし、涙を流されるご家族と向き合いながら、
いつも感じることがあります。

それは――
命は、大きさや種類ではなく、想いの深さで輝いているということです。

犬も、猫も、野生で生きる動物も、
誰かにとって、かけがえのない存在です。

だから私は、
どんな命であっても「ありがとう」と送り出せる時間を大切にしたいと思っています。

あの夜出会った小鹿も、
きっとどこかで懸命に生きている命のひとつ。

私にできることは多くありません。
それでも、目の前の命に心を向け続けること。

これからも私は、
「ありがとうをカタチに」
命と向き合う仕事を、静かに続けていきたいと思います。

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